この間の日曜日になりますが、6月17日、滋賀組(しがそ:大津市西部の本願寺派寺院の集まり)の僧侶研修会が開かれました。会所は大物の超専寺さん。住職と坊守と、それからその日丁度0.5歳になった息子三人で参加して来ました。赤ん坊を連れて行って他のご参加の皆さんにはご迷惑をおかけしましたが、暖かく迎えていただいてありがとうございました。特に超専寺さんには授乳やおむつ替えに部屋をご用意頂き、本当にありがとうございました。
ご講師は同じ滋賀組で北比良の福田寺さんの佐々木義英 師。本願寺の司教という学階にあられる先生ですが、非常にやさしく、分りやすく教えていただけます。滋賀組では2年程前からこの佐々木先生に「正信偈」についての講義をお願いしていて、今回は「依釈段」の曇鸞大師のところについてでした。「ほんしーどーんらーんりょーてーんしー」のところですね。
いろいろとお話を伺った中で、今回私が一番感動したのは、曇鸞大師の主著『往生論註』が生まれた時代についてのお話でした。『往生論註』はインドの天親菩薩の『浄土論』という難解な書物を解説した書物なのですが、『浄土論』が著された後、50年程後に『往生論注』は書かれていると言うのです。
現在の感覚で50年前の本というと、随分昔の本を引っ張りだしてきたなという感覚かもしれませんが、当時で考えればインドで書かれた書物が中国に届くには、ヒマラヤ山脈の合間をつたい、灼熱のタクラマカン砂漠を渡り、、、気が遠くなるような距離と険しい行程を行かなければなりません。そうやって考えれば、当時の中国では「浄土論」は新刊ホヤホヤの書物です。今で言えばAmazonで予約していた新刊が発売当日に届いた、そんな感覚ではないでしょうか。そういう最先端の書物=思想に対する解説書が『往生論註』だったというわけです。
七高僧のご苦労があって親鸞聖人にお念仏が届けられ、そしてそれを今私が頂いている。ご法話の場でこの有難さを伝えようとして私は往々にしてその「歴史」を強調しがちです。もちろんそれは間違いないことですが、ただ「歴史」と言うだけだと、古めかしくて保守的で凝り固まったイメージをもたれるかもしれません。でもその歴史の瞬間瞬間を見れば、イメージはガラリと変わります。お念仏の教えはいつだって人類の思想の最先端で、ゾクゾクするような興奮を与えるものだったのです。
佐々木先生のご講義を聞いて、龍谷大学で初めて浄土真宗の勉強をした時に感じた、脳みそがひっくり返るような感覚を、久しぶりに思い出しました。最近忙しさにかまけてすっかり勉強が疎かになってましたが、やっぱり大切な事ですね。
合掌