ボヘミアン・ラプソディ

今回は映画の話題。「ボヘミアン・ラプソディ」。昨年11月の封切りから大ヒットロングランになっているので、寿命寺に有縁の方にもご覧になった人もあるかもしれません。私は気づけば4回も観ています。いや4回「も」などと言うのは烏滸がましい。フェイスブックの知人には15回くらい行ってる人もいるからです。それくらいハマる映画なのです。

今更ですが知らない人のために書くと、映画は70年代から90年代初頭にかけて活躍したイギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリストで、1991年45歳でエイズによって亡くなったフレディー・マーキュリーの生き様を描いています。

でも単に実在したロックスターの軌跡を追うだけのノンフィクションではありません。インド系移民の子でセクシャルマイノリティーという複雑な背景を持ったフレディーが抱えていた「孤独」。彼がそれとどう向き合い、どう生き抜いたかにフォーカスし、物語として観客に提示しています。

孤独をテーマにした物語なんて、古今東西を問わず巷に溢れています。それが人類共通の普遍的・根源的問題であるが故のことですが、それだけに私達は「みんな一緒」と高を括り、この問題に向き合うことなくやり過ごしていることが多いのではないでしょうか。

しかし言うまでもなく、私の孤独とあなたの孤独は違います。それを他人と共有することが出来ないから孤独なのです。

「人、世間愛欲のなかにありて、
独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる。
行に当りて苦楽の地に至り趣く。
身みづからこれを当くるに、代わるものあることなし」

(仏説無量寿経)

いくら群れても、いくら愛を語り合っても、誰もが最後は独りで去っていかなければならない。この気づきこそが仏教の原点であり、真の人生のスタート地点と聞かせていただいています。

スタートに立つとは同時にゴールが見定められているということです。もちろんそれは死期を知るなどということではありません。自分は何のために生まれてきたのか。それを知ってそのことに命を燃やしていければ、孤独の寂しさは取るに足らず、いつ死ぬかと恐れおののくこともなくなるでしょう。

映画の中のフレディーは、エイズによって自らの命の限りを知り、それまでの孤独を紛らわすだけの生き方に見切りをつけてこのスタート地点に立ちます。そして彼が見据えたゴールが、クライマックスに据えられた20分に及ぶライブシーンで爆発するのです。

それを観た観客は強烈なカタルシスから逃れることができません。その味を何度も味わいたくて、多くの人々が繰り返し映画館に足を運んでしまうのでしょう。

大ヒットロングランと言っても流石にもうすぐ映画館での公開は終わるでしょう。もしこれを読んで興味を持たれたなら、迷わず急いで観に行ってください。私ももう1回、いや2回は行こうと思います。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」公式ホームページ
http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/

4度目鑑賞のお供に、まだ早いと思いつつ小1の長男を連れて行きました。途中一度おしっこに席を立ちましたが、なんとか最後までおとなしく観てくれました。感想を聞くと「ときどき面白いシーンがあったな」(批評家め!)