住職日報

未来の住職塾

2013年7月7日

217551_368477093262421_1446441688_nまたまた更新ご無沙汰しておりました。
その間、寿命寺では永代経法要や降誕会が務まるなど、いろいろとありました。ご報告できずにすみませんでしたが、皆様のお陰でどちらも賑々しく勤めさせていただきました。ありがとうございます。

さて、住職はこの4月から、「未来の住職塾」なるものを受講しています。これはこれからのお寺のあり方や運営を学ぶセミナーで、去年、壽命寺の永代経法要でご講師を務めてくださった松本紹圭 師が主宰されているものです。
来年の3月まで5回に分けて開催される予定で、先日7/1、京都の知恩院さんにある和順会館でその二回目を受講して来ました。
実に濃い内容のプログラムで、これからの寿命寺はどうあるべきか、いろいろと考えを深めさせていただいています。また他の受講者も志の高い方ばかりで、そちらからも非常に刺激を受けます。

さてこの「住職塾」では、お寺の「無形の価値」に目を向けようということが繰り返しでてきます。伽藍や檀家さんの数、あるいは財産の多さなど、そういう目に見える価値ではなくて、それらを支える根っこの部分…具体的には信仰とか、地域社会との繋がりとか…そういった目には見えない部分にこそ、お寺の本当の価値があり、これからの方向性のヒントが埋まっているという事です。

この話を聞いて私は自分がお寺の道に進もうと決心した時の事を思い出しました。

当時私は大学3年生でそろそろ進路を決める時期でした。実家がお寺でそこで育ったとは言え、兄弟もいたのでお寺を継がなければならない立場でもなかったですし、大学も仏教とは関係のない分野でしたので、別の方面に進むこともできました。

でも実家のお寺の本堂で、進路を考えあぐねながら一人ぼんやり天井や柱を見ていたら、突然その場の持つ重みのようなものを全身で感じたのです。

毎日見ていて、そこにあって当たり前と思っていた伽藍。けれどもそれは、私が生まれるずっと前に建立され、たくさんの人々のご苦労があって今日まで護り引き継がれて来たもので、決してあって当たり前のものではなかったのです。それこそ「そんなの当たり前の話じゃないか」と思われるかもしれませんが、恥ずかしながら私は自分がお寺を離れるかもしれないと考えた時に、初めてそのことに気づいたのです。

さらに考えてみれば、それが個人の家やお店、あるいは集会所だったら、こんなにも永く引き継がれては来なかったでしょう。そこが仏様とお経=仏教を護り、共有するための施設であったからこそ、こんなに永く大切にされてきたのでしょう。つまり先達はこの建物を護って来たのではなく、仏法とそれを聴く機会を後世に繋いでこられたのです。

そうまでして残されてきた仏教。こんなに重みあるものを自分から捨ててしまたら、後で絶対後悔する。今は何も知らないけれど、この道にはきっと大切なものがある。その時そう思いました。伽藍に染み込んでいた正に「無形の価値」が私を仏の道に導いてくださったと言えるでしょう。

でも一方でこんなことも思いました。私は20数年お寺の伽藍を身近に見て育ち、ようやく先人の思いを受け取らせて頂いた。けれどもお寺の檀家さんや地域の人、あるいは自分の兄弟たちはどうだろう。今自分が感じたようなことはとっくに感じ取られているかもしれない。でももしそうでなかったら?この数年間で感じ取ったのが自分ひとりだったとしたら?…随分費用対効果の低い話ではないかと。

当然一人の人間を信仰に目覚めさせるということには長い時間と環境がいることです。だから費用対効果などで計れる世界でないことは言うまでもありません。しかしそれを最大限に引き出し、多くの人と共有するように仕掛けることはできるのではないか…。そうか、それが住職という仕事なのか。ならばそんな仕事がしたい!そういうことで、私はお寺の住職をやりたいと思うようになったのです。

いろいろなご縁があって、私は今、実家のお寺ではなく、ここ、雄琴の寿命寺の住職をさせていただいています。でもあの時の気持は変わっていません。いや、正直に言うと、日々の暮らしに追われて少し忘れてしまっていたかもしれません。

でも「未来の住職塾」で聞いた「無形の価値」という言葉が、初心を思い起こしてくれました。この気持を大切に、また一から始めたいと思います。有縁の皆様。どうぞよろしくお願いします。

合掌